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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)2259号 判決 1991年7月19日

原告

平和鉄工所こと千村春一

外九七名

右原告ら九八名訴訟代理人弁護士

小栗孝夫

戸田喬康

伊藤貞利

小栗厚紀

北村利彌

河内尚明

服部優

宮道佳男

村井優文

右訴訟復代理人弁護士

渥美裕資

大林研二

被告

右代表者法務大臣

左藤恵

右被告訴訟代理人弁護士

棚橋隆

右被告国指定代理人

今野高明

被告

愛知県

右代表者知事

鈴木礼治

右被告訴訟代理人弁護士

佐治良三

片山欽司

右訴訟復代理人弁護士

後藤武夫

建守徹

渡邉一平

右被告愛知県指定代理人

志治孝利

外一四名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、別紙請求金額目録(一)ないし(五)記載の各原告に対し、同目録請求額欄記載の各金員及び右各金員に対する昭和五一年九月一〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文一、二項と同旨

2  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張<省略>

理由

一はじめに

本判決においては、成立に争いのない書証及び弁論の全趣旨により成立の認められる書証については、その旨記載することを省略する。

また、以下「外水」又は「洪水」というときには河川の河道内を流れる雨水等を指し、「内水」というときには河道外の堤内地に存在する雨水等を指すものとする。

二当事者

水場川が庄内川水系に属する一級河川であること、被告国はその機関である愛知県知事において一級河川である水場川を管理するものであること、被告愛知県が水場川の管理費用の負担者であることはいずれも当事者間に争いがない。

原告らが水場川下流部付近に住居又は事業所を有し、本件水害により浸水被害を被ったものであり、その被害を受けた住居・事業所の所在地が別紙第1図のとおり(同図において、AないしEの記号は別紙請求金額目録(一)ないし(五)に、AないしEの記号に付された番号は同目録記載の原告番号に各対応し、その住所・事業所の所在地は別紙当事者目録記載の肩書地又は別紙被災事業所等目録記載のとおり。)であることは<証拠>により認められる。

三庄内川水系及び一級河川水場川について

当事者間に争いのない事実(請求原因2(一)(1)ないし(3)。ただし、水場川の総延長及び流域面積の点は除く。)<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

1  庄内川水系

庄内川は岐阜県恵那郡山岡町夕立山に水源を発し、地蔵川、矢田川等の支川と各地が合流しつつ尾張平野西部を貫いて流れ、名古屋市西部を経て伊勢湾に注ぐ、名古屋市を流下する最大の河川であり、その流域面積は一〇一三平方キロメートル、幹川流路延長は95.9キロメートルに及ぶ。この庄内川を中心とする庄内川水系は、昭和四四年三月二〇日に一級河川の水系指定がなされ、同時にこれに属する新川及び水場川についても一級河川の指定がなされた。

2  新川

新川は、庄内川の治水のために江戸時代に開削された放水路である。新川は名古屋市北東部に位置する洗堰において庄内川本川より分かれ、新地蔵川、水場川等と合流しつつ名古屋市の北西部を流下し、名古屋市南部において背割堤一本を挟んで庄内川本川に接して流れ伊勢湾に注いでおり、その流域面積は約二六〇平方キロメートル、流路延長は24.28キロメートルに及ぶ。庄内川の流水の一部は、同川の増水時に流量によっては、前記洗堰から越流して新川に流入するため、新川は庄内川下流部の安全を図るという役割を果たしている。

3  水場川

(一)  水場川は新川の支川であって、その一級河川としての上流端は西春日井郡西春町の法成寺地内に発し、西春町の西部をほぼ直線で南に貫き、名古屋市西区の北西部を流下して、その下流端は新川町阿原地区において新川に合流している。その流路延長は六キロメートル弱、流域面積は11.8平方キロメートルという小河川である。

水場川流域は、別紙第7図に示すように、その北側及び西側は五条川左岸の、東側は合瀬川右岸の、南側は新川右岸の各自然堤防によって囲まれる袋状の低地であり、もともと排水の悪い後背湿地(自然堤防の背後にある低地をいう。)である。右低地には水場川、鴨田川等の排水路たる支川が新川に流下しており、その北東側には五条川と合瀬川が流下している。

水場川流域は右のような袋状の低地であるため、豪雨が発生した際には、袋の入口である北方から大量の水がこの低地に集まることになる。そして、豪雨が発生して新川の水位が右低地内の各河川及び排水路の水位よりも高くなれば、水場川をはじめとする右各河川及び排水路から新川への自然排水が不可能となり、むしろ新川の水が右各河川及び排水路へ逆流してくることになる。そこで、右各河川及び排水路の河口部は逆流を防止する装置の付いた樋門が設けられている。

(二)  水場川流域の標高は、上流部では概ねT.P.四ないし七メートルであるが、下流部では同1.75ないし四メートルと低くなっており、また水場川流域は北から南へ約一五〇〇分の一の勾配の穏やかな傾斜をなしている。更に、北から南へ流下する水場川に対し、東西には、上流部では東と西のそれぞれから水場川に向かい、約一七〇〇分の一の勾配の穏やかな傾斜をなしているが、下流部では東と西の方向からの傾斜は殆どない。そして、水場川の堤防高は上流部域ではT.P.4.5ないし5.5メートルで、下流部域ではT.P.三ないし4.5メートルとなっているため、降雨があった際、上流部域や中流部の北半分では流域に降った雨水を水場川に自然排水することができるが、下流部域及び中流部の南半分の標高が右堤防高よりも低い地域は、流域に降った雨水を水場川に自然排水することができない内水地域である。

(三) 水場川流域には後記四4(四)のように数多くの排水路や樋管(以下これらを総称して「地区内水路」という。)が張りめぐらされているが、右(二)に述べたように、水場川の増水時には、水場川下流部域においては、同地域の地区内水路から水場川への自然排水が不可能となり、むしろ水場川の水が地域内へ逆流してくることになるので、これを防止するために、地区内水路の水場川との合流点には、逆流を防止する装置の付いた樋門が設けられている。この樋門のうち、扉が開閉するものをマイターゲット、上下に開閉するものをフラップゲートという。

このマイターゲット・フラップゲートは、水場川の増水時に水場川の河道内の外水が地区内へ逆流することを防止する機能を持つが、反面地区内水路から水場川への内水の排水をも不可能にする。したがって、水場川の水位が下がらず、マイターゲット・フラップゲートが開扉しない状態が長時間継続すると、水場川下流部域には内水湛水が生じることになる。

(四)  水場川流域の都市化

水場川流域はその肥沃な土壌を利用して古くから農業が栄えた地域であった。昭和二〇年代から三〇年代には付近は一面の田畑であったが、名古屋市に近く交通至便なところから、昭和三二年九月には本件被害地域が工業地域の指定を受け、下流部である平田地区の北部が住居地域に指定され、昭和四〇年頃から平田地区を中心に市街化が進行した。その後、昭和四五年二月に上流部である西春町地内の国道二二号線と県道名古屋江南線に沿う地域について住居地域や準工業地域の指定がなされ、昭和四七年一〇月には本件被害地域が特別工業地域に指定された。本件水害が発生した昭和五一年当時には、市街化率は市街化予定地を含めて部域全体で約五〇パーセントに達し、とりわけ下流部の平田地区では市街化の進行が著しかった。

四水場川改修の経緯について

当事者間に争いのない事実(請求原因2(二)(2)①ないし④。ただし、同①の事実のうち愛知県名古屋農地開発事務所発行の湛水防除事業水場地区概要書中の記載が水場土地改良区設立の目的であるとの点、同②の事実のうち河道改修によって水場川の水が降雨後極めて短時間で下流部に集められることになったとの点、同④前文の事実のうち昭和四〇年代に入り水場川流域の宅地開発が進展した事実を除くその余の点、同④アの事実のうち同計画が相当時間にわたる流域の湛水を予定していたとの点、同④イの事実のうち排水機場増設事業への着手が本件災害後の昭和五二年であるとの点はいずれも除く。)、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

1  改修前の水場川

2以下に述べる改修が行われる前の水場川の河道は、上流部ではほぼ北から南へ向かって概ね直線となっていたが、中流部(現在の西春町石橋付近)からは河道は二筋に分かれ、下流部(現在の名古屋市西区地内)に入ると二筋又は三筋に分かれて現在の中沼町、長先町等を島のように取り巻くループ状を形成し、その後再度合流して新川に流入していた。また、河道には井堰と呼ばれる堰を設けて灌漑用に水場川の水を取水していた。この井堰等の河道に設けられた構造物のため、水場川の河道は断面が著しく狭小となっており、しかも前記のように紆余曲折が多いため、水場川の排水の疎通は著しく不良であった。このような水場川及び同川付近の排水状況のため、一旦豪雨が生じると、水場川及び同川付近の排水路は氾濫し、氾濫した水は地形勾配や地理的条件に従って田越しに下流部へ移動して湛水した。そして、水場川河口にある新川への排水樋門の能力が不十分であったため、水場川の下流部域の湛水被害は大きく、とりわけ新川の水位が上昇し、新川からの逆流を防ぐ右樋門が閉じた場合はより一層の被害が生じた。

2  昭和一四年水場川改修計画

このような状況であったため、昭和一三年頃、当時の西春日井郡西春村、春日村及び丹羽郡丹陽村の三村において、最初の水場川改良計画が立案された。この計画は水場川の排水を阻害する構造物の整理改善を行い、排水を良好ならしめて農業の振興に寄与することを図るもので、同計画がどの程度実現されたかは不明であるが、同計画により井堰等が完全に除去されることはなかった。本格的な水場川の改修は、水場川付近に影響を及ぼす周辺の関連各河川の改修の進捗を前提として、戦後になって始められた。

3  下流部の改修

昭和二七年八月二八日、愛知県告示により、水場川は新川との合流点から上流へ二三一〇メートルの範囲(名古屋市と西春町との境界付近まで)が旧河川法の準用河川に指定され、愛知県知事が管理することになった。これを機に、愛知県知事により、下流部河道の改修と河口部の樋門増設工事が行われた。この下流部河道の改修は、河道の付替え、拡幅及び直線化工事等を含むもので、別紙第9図の(ア)の区間約一八〇〇メートルにおいては毎秒三〇立方メートルの流量の外水を流下しうるように河道の幅を一八メートル、深さ三メートルとするものであり、工事は昭和三一年に完成した。

また、樋門の増設は、従来の阿原樋門(高さ2.10メートル、幅2.14メートルのもの二連)の下流に北野樋門(高さ1.64メートル、幅1.40メートルのもの二連)を設けるもので(別紙第8図参照)、これにより水場川の新川への排水は右二つの樋門のほか、連絡水路を通じて五つの樋門から行うことになった。この北野樋門の増設は昭和二七年に完成した。

4  上・中流部の改修

(一)  昭和二七年四月八日、土地改良法に基づいて、農業振興のために水場土地改良区が設立され、同土地改良区により、土地改良事業の一環として水場川の上・中流部の河道改修が計画された。この工事は後の昭和三八年に旧河川法に基づく準用河川の変更認定により、水場川の全川にわたり愛知県知事が管理することとなって以降、同知事に引き継がれ、一部用地買収に手間取って(別紙第9図の(ウ)区間等)遅れるなどしたため、昭和五〇年に至ってようやくその完成を見た。

(二)  右工事は、上流部の改修は土堤のままとし、幅も下水溝程度のままにとどめるなどの小規模なものであったが、中流部の改修事業は、前記3判示の下流部改修事業と同様に、河道の付替え、拡幅及び直線化等を内容とするもので、これら中・下流部の改修は新河川の開削にも匹敵する規模のものであった。

5  改修後の水場川

(一)  これら改修工事により、水場川はその上流端から南へ向けてほぼ一直線に新川へ流下することになり、井堰及びループ状の河道は全て廃止された。また水場川河道は、下流部(河口から約二キロメートル地点まで)において毎秒約二五ないし三〇立方メートル、中流部(河口の以北約二キロメートル地点から約四キロメートル地点まで)において毎秒約一五立方メートル、上流部(河口から約四キロメートル地点以北)において毎秒約一〇立方メートルの流下能力を有することになった。

(二) なお、右4(一)の土地改良事業に伴い、上・中流部域には水場土地改良区により農業用排水路が設置された。また、下流部域には、昭和三七年以降、平田土地区画整理組合が宅地の排水を改善するための排水路を設置しており、これらのうち幹線排水路の設置状況は別紙第15図のとおりである。その他に、上流部から下流部を通じて、水場川へ直接流入する数多くの樋管が存在し、流域内には多くの排水路や樋管が網目状に張りめぐらされている。前記二3(三)判示のマイターゲート・フラップゲートは右平田土地区画整理組合が設置した下流部の排水路や樋管の水場川との合流点に設けられている。

6  県営湛水防除事業

水場川付近の土地は、水場川を通じて新川に自然排水していたが、昭和三〇年代後半頃から、水場川及び本川である新川の流域の開発による流出量の増加や、新川流域の地盤沈下の進行により排水が年々困難になり、湛水被害が常習化したため、農地・宅地を一体化した防災対策の必要が生じた。

そこで昭和四三年頃、被告愛知県は、水場川と新川との合流点に排水機を設置し、これにより水場川の水を新川に強制排水する計画を立ててこれに着手した。この工事は、愛知県名古屋農地開発事務所によって農業被害を防止するための湛水防除事業として行われ、毎秒一〇立方メートルの能力を有する排水機(以下これを「一〇トンポンプ」という。)を設置して、昭和四五年一〇月に完成した。

右計画は、流域面積一二八三ヘクタール(受益面積四六四ヘクタール)を対象に、基準雨量三四〇ミリメートル(三日間連続雨量。生起確率二〇年に一回。)の降雨に対し、許容湛水深(基準田面から二〇センチメートル)上の湛水を二四時間以内とし得るよう設計されていた。

本件豪雨の際には、水場川河口にはこの一〇トンポンプが設置されていた。

7  激特事業

被告愛知県は、昭和四九年に水場川から新川へ強制排水する施設の増設に着手した。これは毎秒二〇立方メートルの能力を有する排水機(以下これを「二〇トンポンプ」という。)を設置するというもので、当初国庫補助を得て中小河川改修事業による実施を予定して被告愛知県の費用で水理検討・測量・ボーリング調査等を行っていたところ、本件水害が発生したため、昭和五一年に創設された大型国庫補助事業である激特事業に移行し、昭和五四年九月に完成した。この計画で対象とした降雨は、時間雨量五〇ミリメートル、日雨量一五八ミリメートル(生起確率五年に一回)というものであった。この時期に排水機の増設計画を立てた理由は、次の三点によるものであった。

(一)  水場川流域における都市化の進行による流出増や、これに伴い内水管理者(下水道を設置・管理している名古屋市等)による水場川への内水排水施設の設置の可能性も予想されたので、これらに対処する必要があったこと。

(二)  前記3及び4判示の水場川の河道改修工事が昭和五〇年に概成する見通しが立ったこと。

(三)  水場川の本川たる新川においては、昭和四〇年代後半頃から下流部域の地盤沈下が進行し、その治水安全度が低下したが、これに対する堤防補強・漏水防止・土砂のしゅんせつ等の改修工事が昭和五四年頃には概成する見通しが立ち、新川への放水に安全上の問題がなくなったこと。

この二〇トンポンプと従来の一〇トンポンプとを合わせると、水場川河口における強制排水機の排水能力は毎秒三〇立方メートルとなるが、この値が選ばれたのは、水場川流域開発の進行による将来の水場川への流出増及び将来内水管理者により水場川への内水排水施設が設置される可能性もあり得ることをも考慮し、その場合には流域の内水が全て水場川へ流入することになるという前提で、水場川河口部における最大流量を貯留関数法を用いて計算していたところ、前記の計画降雨のときに毎秒26.2立方メートルとなるので、これに対処し得るためにこの数値が決定されたものであった。

五本件豪雨について

当事者間に争いのない事実(請求原因3(一))、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

1  昭和五一年九月四日南方海上で発生した台風一七号は、大型の非常に強い台風となって日本列島を襲い、このころ日本列島上に停滞していた寒冷前線を刺激して各地に強い雨を降らせた。

2  水場川流域でも九月八日午後二時過ぎから雨が降り始め、九日午前零時までの累計雨量は98.5ミリメートルとなった(以下の雨量は水場川の直近である清洲町所在の西部消防組合消防署の観測値による。)。九日も激しい雨が降り続き、同日の日雨量は二四三ミリメートルに及んだ。また、同日の午後九時から同一〇時にかけては本件水害時における最大時間雨量50.5ミリメートルが記録されている。

雨は一〇日及び一一日には小康状態となったが、一二日には台風の接近により第二波の豪雨が襲来し、一二日の日雨量は202.5ミリメートルに上った。その後、一三日午前になって雨は終息した。

3  本件豪雨において、八日の降り始めからの累計雨量は577.5ミリメートルに及び、これは、愛知県西部地方の年間平均総降雨量の四〇パーセント弱の雨量をこの期間に記録したものである。また、前記時間雨量50.5ミリメートルの最大強度降雨を記録した第一波の降雨(八日及び九日)の、八日午後二時から一〇日午前零時までの1.5日間の累計雨量は341.5ミリメートルで、これは生起確率八〇ないし九〇年に一回という規模のものである。この豪雨により、隣県の岐阜県安八町では長良川が決壊するという災害も発生している。

六河道からの溢水の有無について

1  湛水状況

<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

前記五2に判示のように、本件水害の際には、九月八日午後から雨が降り始めたが、強い雨が降り始めた翌九日には、早くも水場川下流部域や新川町阿原地区等の低位部で朝方から湛水が始まった。これに加え、水場川の上流部域に降った雨水が、前記三3に判示の水場川流域の地形勾配に従って水場川方向や下流部に移動したため、下流部域での湛水は時間の経過とともに増加し、右地域では一面海状を呈するに至った。そのため、西区山田支所では、同日午後五時には老人と子供を非難させるよう命令を発した。

翌一〇日及び一一日の両日の日中は降雨が小康状態となり、新川の水位が漸減したため、一一日朝までには下流部域での湛水は急速に低下した。その後一二日朝には第二波の降雨により再び水が押し寄せたが、一三日にはこの雨もほぼ終息し、同日朝にはこの湛水はかなり減水した。

この豪雨による浸水被害は、水場川付近では、浸水面積三六〇ヘクタール、浸水家屋三四八〇戸(床上六〇一戸、床下二八七九戸)に及んだ。

2  河道からの溢水

(一)  溢水状況

<証拠>によれば、以下の事実が認められる(判示中の各地点及び場所等については別紙第16図に記載のとおりである。)。

(1) 早川宗一、星野廣二及び横井鋓治らは、九月八日午後一一時頃から、水場川河口の排水機場(一〇トンポンプ)において排水機前面の除塵機に引っ掛かるごみを除去する作業に従事したが、午後一一時頃早川が北野橋から排水機場までの間を歩いた際に水場川の水は普段の水位程度であった。その後翌九日午前三時頃横井忠三がこれに合流したが、同人がこの頃水場川の水位を見たときも平常と変らなかった。

(2) 右早川宗一、星野廣二、横井鋓治及び横井忠三らは九日午前八時頃まで右作業に従事し、排水機場から引き上げたが、星野がその帰途、排水機場から笠取橋付近までの間を歩いた際、水場川の水位は平常より多少深いという程度で、堤防の天端までなお五〇ないし六〇センチメートルの余裕があった。また、早川がその帰途、新川堤防に上って、そこから水場川を見たときも、水場川の水位は右程度であった。

(3) 九日午前八時頃、新川町の職員である石田耕治は水場川排水機場へ一〇トンポンプ運転のため出かけ、自家用車を運転して重中橋から排水機場までの水場川左岸堤防上を走行したが、その間の水場川が溢水している箇所はなかった。

(4) 九日午後二時頃、浮野小学校の校長である矢島英勝は浮野学区内を見回り、同小学校から、長先町塚前橋のやや下流にある株式会社木村コーヒー店名古屋工場までの水場川左岸堤防を自転車で走ったが、その間に水場川が溢水している箇所はなかった。

(5) 九日午後二時半頃、水場川はその下流部である排水機場付近や前記木村コーヒー店名古屋工場付近(第四地点)等の一部において満水状態となり、河道内の水位は堤防の天端付近まで上昇した。同日午後三時頃には排水機場付近においては堤防が完全に水没するまでになり、ここに水場川は同箇所付近において溢水するに至った。しかしながら、既にこの時、下流部両岸の内水位も堤防高を越える高さにまで上昇していたため外水位及び内水位とも堤防高を越え、下流部付近は一面海状を呈することになった。

(6) 内・外水位はその後も少しづつ上昇を続け、九日午後九時から一〇時には時間雨量50.5ミリメートルの本件水害時における最大強度の降雨があったため、翌一〇日の午前中にかけて最高となった。この頃には溢水は前記(5)の溢水地点から上流に広がり、第四地点等においても溢水が見られ、西区山田支所長である木曽根芳朗が一〇日午前七時半から八時頃管内を視察した時には、西原町東砺運輸前の第一地点では四ないし五メートルの幅で溢水しているのが見られたが、前同様に既に堤内地は内水湛水により海状となっていた。

(7) 排水機場付近では、一〇日午前一時頃内・外水位とも最高となり、コンクリートの床に冠水を始めたことから、新川町職員である森田鉦明らが排水機を守るために土のうを積んで浸水を防いだが、排水機の運転によりこの頃をピークに水位は下がっていった。

(二)  原告らの主張について

これに対し、原告らは、九日午前七時半頃水場川は新川町、西区新木町及び同十方町地内において、河道内の外水が左岸堤防を乗り越えて溢水し、溢水は時間を追って順次上流部に進んだと主張し、証人横森今朝行、茶谷弥七、服部幸吉、増田勇及び原告高田尭、安立孝雄各本人は、以下のように供述する。

(1) 証人横森今朝行は、九日午前七時二〇分頃、第三及び第四地点で水場川が溢水しているのを目撃し、その後木村コーヒー店名古屋工場二階の事務所から第五地点で溢水しているのを目撃した。

(2) 証人茶谷弥七は、九日未明頃、第二地点から江崎橋くらいの間で水場川が溢水しているのを目撃した。

(3) 原告高田尭は、九日午前七時二〇分頃、第六地点で水場川が溢水しているのを目撃した。

(4) 証人服部幸吉は、九日午前九時過ぎ頃官用車を運転して重中橋に至り、第一及び第二地点で水場川が溢水しているのを目撃した。

(5) 証人増田勇は、九日午前九時過ぎ頃、十方町九丁田橋付近で水場川が溢水しているのを目撃した。

(6) 原告安立孝雄は、九日午前一〇時頃、十方橋と九丁田橋との間の地点で、一メートルくらいの幅で水場川が溢水しているのを目撃した。

しかしながら、右各供述は、溢水の時間が前記(一)に認定したところと相違する上、その内容や日付けの記憶に曖昧な点があり、いずれも採用し難い。

また、<証拠>は伝聞に過ぎず、作成者の矢島英勝は溢水事実を目撃していないことから採用し難いし、<証拠>も記載内容が簡潔で、これにより溢水の具体的状況を認定することは困難である。

したがって、水場川溢水の経過は前記(一)認定のとおりと認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  <証拠>(再現計算書)について

(1) これに対し、被告らは水場川からの溢水はないと主張し、乙七の一(再現計算書)及び二(同データシート)を提出するので、これらにつき検討する。

(2) <証拠>によれば、<証拠>は、被告愛知県において、水場川流域を含めた周辺の地域における本件水害当時の内・外水の状況を水理学的計算により再現したものであること、河道、水路、樋管、堤防高及び最高湛水位等については現地で実測した数値に基づいてモデル化したこと、計算の方法は、別紙第10図のとおり、水場川周辺を流水の移動に影響する自然的・社会的地物(国道二二号線等)を考慮して一三ブロックに、河道を一〇区にそれぞれ分割し、八日から一〇日に降った第一波の降雨を対象に、前記西部消防組合消防署の観測雨量を基にして、流域内の上流から下流へのブロック間の内水の移動を不等流計算により、河道内の外水の流れ及び新川への外水の流入を不定流計算により三〇秒ごと(ただしプリントアウトは三〇分ごと)に計算したものであること、これをモデル化したものを図式化すると別紙第11図のとおりとなることが認められる。

(3) ところで、このような再現計算は、いかに精度を高めようとも多くの仮定が入るものであるところ、河川工学・水理学等は経験工学といわれ、未開明な要素の多い自然現象を対象とし、経験的要素が占める比重が高いため、現代科学が必ずしも得意といない分野であって、洪水という現象を再現するにもその再現性は必ずしも高くないことも明らかなところである。したがって、このような多くの仮定の上に立ち、そのため必ずしも水害当時の洪水の状況を忠実に再現しているとは認め難いこの種の水理学的計算の結果を無批判に受容することはできないというべきである。

しかしながら他方、その計算の結果が他の信用するに足りる証拠により認定できる事実と客観的に符合する限りにおいては、この種の水理学的な計算による再現の結果を採用することもできるというべきである。

(4) これを本件水害について見るに、<証拠>によれば、水場川下流部域は4、5、8及び9の各ブロックであるが、4及び8の各ブロックについてはC河道とD河道、5及び9の各ブロックについてはA河道とB河道について、外水位がいずれも九日午後一〇時頃から最高水位を記録し、翌一〇日未明頃までこれに近い高水位が継続したこと、このため、5ブロックにある第三、第五及び第六地点で九日午後一〇時三〇分に外水位が堤防高を越えて溢水が生じたこと、この状態は第五地点については翌一〇日午前四時、第三地点については同午前六時、第六地点については同午前六時三〇分頃に外水位が堤防高と等しい高さに減水するまで続いたこと、右外水位が上昇した時点では既に内水位も同様に上昇しており、外水位とほぼ同じ頃に堤防高を越えて一面海状になっていること、第一ないし第六のいずれの地点においても、九日の午前中に堤防高を越えたことはないことを示しており、右の点に関しては前記認定と符合するから採用できるというべきである。

そうすると、右再現計算の結果からも、水場川が九日深夜から翌一〇日午前にかけて下流部(別紙第9図によれば、別紙第16図の県道一場山田線付近までが前記四5(一)に判示の下流部に含まれる。)の一部で溢水したことが裏付けられている。

(四)  外水・内水の割合について

(1) 本件水害における浸水被害の原因として内水が寄与していることは当事者間に争いがないが、これと外水との寄与の割合が問題となる。

(2) <証拠>によれば、一〇日に水場川下流部の両岸の堤内地が広い範囲にわたり一面海状に湛水しているのに対し、水場川の外水位は堤防高を越えているとはいえ、水場川の両岸堤防の上に生えている葦は水没することなくはっきりと二列に見ることができるから、河道からの溢水深はさほど深くないことが認められる。また、証人大曽根芳朗も九日の午前及び午後の状況につき同旨を述べており、同日の状況もほぼ同様であったと認められる。

(3) <証拠>によれば、九日午前八時頃、水場川下流部において、河道内の水位は堤防の天端から四〇ないし五〇センチメートルのところにあるには拘わらず、既に堤内地はこの頃七〇ないし八〇センチメートルに成長していた水稲が完全に水没するくらいの水位であったこと、同日午後一時三〇分頃には水場川右岸の堤内地において、川が溢水していないにも拘わらず既に床上浸水の建物があったことが認められ、河道からの外水の溢水が始まる前に既に大量の内水が堤内地に溢水していたことが認められる。

(4) 前記三3に判示のように、水場川流域は袋状の低地であり、豪雨があった際には袋の入り口である北方から大量の水が流下するようになっており、また水場川流域が北から南へ緩やかに傾斜をしているところから、このように北方から移動してくる降水及び水場川上流部域に降った雨水のうち水場川及び地区内の水路に収容しきれない分は、その地形勾配に従い、田越しに水場川下流部域に移動してくることになるという水場川流域の自然的特性及び前記(四)(3)の認定事実を併せ考えれば、前記(四)(2)に認定の堤内地の溢水は、その多くが水場川流域に降った雨水(内水)及び水場川上流部域又はそれよりも更に北方の流域に降った雨水が流下してきたものであると認められる。

もともと前記三3に判示のように水場川は小河川であり、その溢水をもって堤内地を水浸しにするような容量の洪水を運ぶ河道とは到底いえないところ、前記(四)(2)に認定のように河道からの外水の溢水深はさほど深くなく、溢水を目撃したとする証人等の供述もいずれも幅にして四ないし五メートル、深さも道路を這う程度というものであり、<証拠>からも、川から堤内地の方へ水が動いているとは認められないから、水場川が激しく溢水したことを認めるべき証拠はない。

したがって、堤内地を湛水させた原因はその殆どが内水であると認められる。

(5) また、前記(三)で判示したように、水理学的計算の結果は、客観的に認定しうる事実に符合し合理的である限りはこれに依拠することができると解すべきところ、内・外水比率についても、同様に解することができる。

そうすると、<証拠>によれば、九日午後一〇時三〇分頃、原告らの多くが居住する5ブロックには、約四七万トンの湛水があったが、そのうち河道から溢れたものは一〇〇〇トン程度で、右のうち0.1ないし0.2パーセントであるとされるが、右計算の結果は、前記(四)(2)ないし(4)に認定の湛水状況と大きく食い違うところはないものと認められる。そして、前記(四)(2)に認定のように一〇日の状況もほぼ同様であると認められるから、結局、本件水害をもたらした全湛水中、河道から溢れた外水の占める割合は、0.1ないし0.2パーセントであるかはともかく、湛水量全体から見れば僅かな量にすぎないと認めることができる。

七本件水害の原因

1  水場川における水流量

<証拠>によれば、被告国は中小河川の改修事業においては、時間雨量五〇ミリメートル(生起確率五年ないし一〇年に一回)の降雨(以下、これを「計画対象降雨」ともいう。なお、日雨量については激特事業と同程度を対象としていたものと推認される。)に対処し得るようにすることを当面の行政目標としているところ、右時間雨量五〇ミリメートルの降雨の際、水場川には、上流の自然排水区域から上流部の流下能力ほぼ一杯の毎秒約一〇立方メートルの洪水が流入し、中・下流部を流下するが、その場合、内水区域の地区内水路に設けられているマイターゲート・フラップゲートが閉まり、この地域から水場川へ内水が流入することはなく、毎秒約一〇立方メートルの洪水は、ほぼその量のまま下流部を流下して河口部に到達し、本件水害当時設置されていた一〇トンポンプにより排水されることになるとされる。

ところで、①右の上流部で発生した毎秒約一〇立方メートルとほぼ同程度のままの洪水が河道を流下するという点に関する計算の結果等は提出されていないこと、②<証拠>によれば、自然排水区域と内水区域の境界は別紙第15図のとおり河口部から約三キロメートル地点付近の中流部であるところ、このあたりの河道の流下能力は毎秒約一五立方メートルであり、しかも自然排水区域に属する上流部及び中流部(一部)の地区内水路にはマイターゲート・フラップゲートには設置されていないが、内水区域に属する中流部(一部)の地区内水路にも右各ゲートが設置されていないものもあることが認められるから、これらの地区内水路からはなお内水が流入するのではないかとも考えられること、③右各ゲートは内・外水位の高低差によって開閉するものであり、たとえ河道内の外水位が高くても内水位がそれ以上に上昇すれば開閉するので、下流部でも地区内水路からの内水が全く流入しないとまでいえないこと等に照らすと、中・下流部を流下する洪水量が、毎秒約一〇立方メートル程度のままとは考え難く、中流部の河道の流下能力の毎秒約一五立方メートル位までの洪水が流下するのではないかとの推認も成り立たないではない。しかし、右推認を裏付けるべき的確な証拠もないから即断し得ないが、いずれにしろ右毎秒約一五立方メートル位を越えることは認め難いと考える。

2  河道からの溢水について

右1に判示のように、前記計画対象降雨があった際に水場川の中・下流部を流下する洪水量は必ずしも明らかではないが、右1冒頭に掲記の証拠に照らせば、仮に中流部の河道の流下能力一杯の毎秒約一五立方メートル程度の洪水が流下して河口部に到達したとしても、右洪水は河口排水機の一〇トンポンプの排水能力と河口部の貯水能力とによって水場川の河道から溢水することなく新川に排水され得たことを看取することができ、これを覆すに足りる証拠はない。

しかるに、前記六2に判示したように、本件水害時には、下流部の毎秒約三〇立方メートルの河道が満水状態になった上、僅かながら河道からの溢水が見られたが、これは、本件豪雨が前記五に判示のとおり1.5日間の累計雨量では生起確率が八〇年ないし九〇年に一回という前記計画対象降雨の規模をはるかに越えるものであったため、一〇トンポンプの排水能力及び河口部の貯水能力をもってしては対処し得ない洪水量が生じたことになると考えられる。

3  内水湛水について

次に、前記六に判示のとおり、本件水害時、水場川流域付近に大量の内水湛水が生じており、これが本件水害の主たる原因となったと考えられるが、河川はその流域内に降った雨水等を集めてこれを安全に下流に流下させ流域外に排水する機能を有しているものであるから、河川の改修計画においては、河川の右機能の観点もふまえて計画を立案すべきものである。しかしながら、河川の右機能も通常の降雨に際してのものであって、いかなる規模の降雨に際しても河川が右機能を果たさなければならないと考えることはできない。

これを本件について見るに、既に判示のように、本件豪雨は中小河川の改修計画において通常対処すべき規模をはるかに越えるものであったというべきところ、前記三3に判示のとおり、水場川はもともと小河川である上、その流域は、豪雨の際には北方から多量の水が流下するという自然的特性を有していたから、豪雨に際してもともと内水湛水を生じ易い地域であり、その故にこそ後記(八5(二))のように他の中小河川に比して早期から改修事業が進んだとも考えられるが、本件のような豪雨に際しても、水場川が流域内に湛水被害を生じさせることなく内水を集めて流下させる機能を果たさなければならないとすることは、その流下能力からいっても到底無理であったと考えられる。

4  本件水害の原因について

以上1ないし3に判示したところよりすれば、本件水害の原因は、水場川流域がもともと内水湛水を生じ易い地理的状況にあることに加えて、水場川の流下能力をはるかに越える豪雨があったため、膨大な量の内水湛水を生じるとともに河道からの溢水をもたらしたことによると認めることができる。

八水場川の管理上の瑕疵の有無について

以上二ないし七に判示したところをふまえ、水場川の管理上の瑕疵の有無について検討する。

1  河川の管理に関する瑕疵判断の基準について

国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい、このような瑕疵の存在については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものである。ところで、河川は、当初から通常有すべき安全性を備えた物として管理が開始されるものではなく、管理開始後の治水事業を経て、逐次その安全性が達成されてゆくことが予定されているものであるから、河川が通常予測し、かつ回避し得る水害を未然に防止するに足りる安全性を備えるに至っていないとしても、直ちに河川管理に瑕疵があるとすることはできず、河川の備えるべき安全性としては、一般に施行されてきた治水事業の過程における河川の改修、整備の段階に対応する安全性をもって足りるものとせざるを得ない。結局、河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理における財政的、技術的及び社会的諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきであると解するのが相当である(大東水害訴訟最高裁判決及び同昭和五七年(オ)第五六〇号最高裁同六〇年三月二八日第一小法廷判決・民集三九巻二号三三三頁参照)。

2  水場川の管理に関する瑕疵判断の基準

次に、当該河川ないし水系につき改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川についての瑕疵判断の基準については、右計画が全体として前記見地から見て格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、右部分につき改修が未だ行われていないとの一事をもって河川管理に瑕疵があるとすることはできないと解すべきである(大東水害訴訟最高裁判決参照)が、水場川がこのような未改修又は改修中の河川に該当するかどうかについて検討する。

(一)  河道の改修状況について

(1) 水場川の改修については、前記四に判示したとおり、河道改修工事が昭和五〇年までには完成し、これにより上流から下流への一貫した河道ができ上がったこと、これにより水場川は上流部毎秒約一〇立方メートル、中流部同約一五立方メートル、下流部同約三〇立方メートルの流下能力を有することになったこと、これは前記七1の被告国の中小河川における当面の行政目標である前記時間雨量五〇ミリメートル程度の降雨に対処するものとされ、右河道が完成したため、それ以降の河道改修計画はなかったこと、他方、排水機の設置については、昭和四五年に愛知県名古屋農地開発事務所によって農地の湛水を防除するための一〇トンポンプが設けられ、さらに中小河川改修事業としての二〇トンポンプの増設が昭和四九年に計画されて、昭和五一年に激特事業に移行し、本件水害当時は同計画の水理検討・測量・ボーリング調査等を行っていた段階であったというものである。

(2) 水場川下流部の河道改修計画当時の資料は存在しないため、同計画の内容は明らかではないが、被告国が全国の中小河川において前記のような行政目標を達成しようとしていることからすれば、右行政目標における降雨時の河川の水流量をもって工事実施基本計画における計画高水流量(河川法一六条)とみなすべきである。そして<証拠>の庄内川水系計画流量配分図によっても水場川の計画高水流量は毎秒約三〇立方メートルと考えられていたことが認められるから、水場川河道改修計画における計画高水流量は前記の上流部毎秒約一〇立方メートル、中流部同約一五立方メートル、下流部同約三〇立方メートルと認めるべきである。

なお、下流部改修計画において、排水量を合理式により算定すると毎秒37.5立方メートルとなるとされていたことは当事者間に争いがなく、<証拠>(建設省河川砂防技術基準)によれば、計画高水流量の算定において合理式を採用することができることになっていることが認められるが、右計算は、合理式の性質上、計画雨量が全て河道に流入して河口部に到達するという前提のものであるから、実際の河道の流下能力とは前提を異にし、これをもって計画高水流量と考えることはできない。

(3) そうすると、水場川の河道については、本件水害当時、右計画高水流量相当の流下能力を備えているから、工事実施基本計画に基づいて改修・整備が完了していたことになる。

(二)  河口排水機の設置状況について

他方、排水機について見ると、前記(一)(1)に判示のように、水場川下流部における計画高水流量は毎秒約三〇立方メートルであるのに対し、本件水害当時、水場川に設置されていた排水機は毎秒一〇立方メートルの能力のもので、しかも農地の湛水防除のための施設であって、強制排水施設としての排水機(二〇トンポンプ)の増設には昭和四九年に着手し、未だその建設中であったものであり、これが完成したとき初めて右計画高水流量相当の毎秒約三〇立方メートルの排水能力を備えることになるのであるから、この面からすると、水場川は、本件水害当時、右計画高水流量に対処するための改修工事が未了であったことになる。

(三)  そこで、河川が改修中のものであるかどうかについては、河川の改修計画及びその実施が断続的になされる場合には、当該河川の機能的特性並びに改修の時期・内容及び目的等を総合的に考慮して判断するのが相当であると考える。

しかして、既に判示のように、水場川は新川の水位いかんによって自然排水が不可能となる特性を有しており、河道の改修とともに河口部における新川への強制排水施設の整備が必要とされてきたものであり、これが整備されることにより流下能力も全うされることになるところ、被告愛知県も、昭和四九年に右強制排水施設としての排水機の増設に着手し、未だその建設中であったものであるから、水場川は、本件水害当時、未だ河口部において改修中の河川であったと認めるのが相当である。

3  水場川改修計画の不合理性の有無

前記2に判示のように、改修中の河川については、改修計画が全体として格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じていたか否かを検討すべきであると考えられるので、まず水場川改修計画の不合理性の有無について判断する。

(一)  河川管理に関する国の行政目標の合理性

まず、前記時間雨量五〇ミリメートルの降雨に対処するという被告国の中小河川改修事業における当面の行政目標について検討するに、前記1に判示したように、河川の管理には、多くの財政的、技術的及び社会的諸制約が伴うことに鑑みると、右目標は、一朝一夕には達成できない河川の改修を順次進めていくための当面の行政目標としては、不合理とは認められない。他方<証拠>によれば、大河川における同行政目標は、戦後最大洪水に対処する改修を実施するものとされていること、右各目標の達成率は、昭和五六年度末で中小河川については一八パーセント程度であるのに対し、大河川については同年度末で五八パーセント程度であることが認められるが、これは、いうまでもなく、大河川においては、災害の発生時に人命や財産に大きな危険を及ぼす可能性が高いことから、その整備を中小河川よりも優先した結果と考えられ、不合理とは認められない。

そして、右整備率に照らしても、右行政目標を達成している水場川の改修事業は、他の中小河川に比して遅れているものではない。

(二)  水場川改修計画における不合理性の有無

(1) そこで、原告らは、水場川改修計画が以下のように不合理なものであると主張するので、この点について検討する。

原告らの主張するところは要するに、①河道改修計画にあっては、下流部改修計画においては当該計画対象降雨につき合理式により水場川の流量を計算すると新川との合流点では毎秒37.5立方メートルとなり、上・中流部改修計画においては当該計画対象降雨につき単位図法により水場川の流量を計算すると新川との合流点では毎秒17.5立方メートルとなることが明らかであったのに、湛水防除事業計画においては合理的な理由もなく一〇トンポンプ一機を設置したに止まり、ポンプの能力を超える行き場のない水を下流部に溢れさせた、②新川増水時には水場川も当然増水して自然排水は不可能となり河口排水機によるポンプ排水が不可欠であるのに、水場川の河道の流下能力に比して著しく容量の小さな一〇トンポンプ一機を設置していたにすぎず、このような排水機未整備状態のまま河道を改修して、従前は上流部に保水されていた洪水を短時間に河口に集中させ、下流部域の洪水による危険性を高めた、というものである。

(2) まず右①の主張について検討するに、<証拠>によれば、湛水防除事業計画における毎秒一〇立方メートルという排水量は、当該計画対象降雨を時間的に分布させた雨量に流出率を乗じて有効雨量を計算し、右有効雨量から単位図法で流出量を算出し、計画対象区域全体を一つの池と考えて、この池に右流出量が全て湛水するものと仮定し、ここからポンプで水を吸い上げるものとして湛水深が二四時間以内に許容湛水深(基準田面から二〇センチメートル)以下となるように排水量を検討した結果、毎秒9.2立方メートルとなるので一〇トンポンプに決定されたというもので、水場川の河口部における流出量が毎秒9.2立方メートルとなるというものでないから、原告らの主張とは全く前提を異にするものであると認められ、右不合理性をいう原告らの主張は失当である。

(3) 次に右②の主張について検討する。

① <証拠>によれば水場川の河道の改修前に存在していた井堰は用水の取水のための施設であると認められるところ、この井堰や上・中流部の複雑なループ状の河道が洪水調節の機能を果たしていたと認めるべき証拠はなく、かえって<証拠>によれば改修前の狭小かつ複雑な河道のために排水状況が著しく劣悪であったことが認められるうえに、前記七3に判示のように下流部域はもともと内水湛水を生じ易い地域であることに照らしても、河道改修が行き場のない内水を湛水せしめたというものではないことが推認されるから、この点に関する原告らの主張は失当というべきである。

② また、河道改修を河口排水機(二〇トンポンプ)の設置に優先させたという点についてであるが、まず工事実施基本計画に準拠して改修・整備がされた河川の改修・整備の段階に対応する安全性とは、右計画に定める規模の洪水における流水の通常の作用から予測される災害の発生を防止するに足りる安全性をいうものと解すべきであり、右計画において定められた規模の洪水から当時の防災技術の水準に照らして通常予測しかつ回避し得る水害を未然に防止するに足りる安全性を備えるべきものであると解される(最高裁昭和六三年(オ)第七九一号平成二年一二月一三日第一小法廷判決・判例集未登載参照)が、前記七に判示のように、水場川は、前記計画対象降雨の規模の降雨に対しては、河道改修後も一〇トンポンプで対処し得たものと認められるのであり、本件豪雨は右計画対象降雨の規模をはるかに越えるものであって、本件水害が生じたことをもって直ちに水場川が右通常の安全性を備えていなかったものということはできない。

しかも、河道が整備されないまま排水機を設置しても、その効用を発揮し得ないのみならず、水場川の河口排水機の設置については、これを稼動させることによって新川の治水安全度を低下させることのないように、新川の河道整備が先行されなければならないところ、前記四7に判示のように、被告愛知県は、右の点等を総合勘案して、排水機の増設計画及びその実施に踏み切ってきたものであるから、河道の改修及び排水機の設置の先後についても不合理な点は認められない。

(4) 以上により、水場川改修計画の不合理性をいう原告らの主張はいずれも理由がないというべきであり、他に水場川の改修工事に格別不合理な点があったとは認められない。

4  早期の改修事業を施行すべき特段の事情の有無

次に、水場川の改修工事の開始後、水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更する等して早期の改修工事を施行すべき特段の事情が生じていたか否かについて検討する。

前記三3判示のように、かつて水場川流域及びその周辺は一面の農業地帯であったところ、昭和三〇年頃から市街化が進行しつつあり、そのため地域の保水能力が失われ流出量が増加することに伴い、浸水時の財産的損失が増加することは当然予測し得たところであったと考えられる。これに対し、河川管理者が昭和二七年から河道改修工事を始め、昭和四五年には一〇トンポンプを完成させ、さらに本件水害後の昭和五四年に二〇トンポンプを増設するという形で対処してきたことも前記四に判示のとおりである。

これを本件水害当時について見るに、一〇トンポンプが設置された昭和四五年あるいは河道改修工事の概成した昭和五〇年以降、本件水害時までに特に水場川下流部域において市街化の進行が著しかったが、前記七に判示のように、水場川は、右河道改修後も、前記計画対象降雨の規模の降雨に対しては一〇トンポンプで対処し得たものと認められ、右市街化を考慮しても、右計画対象降雨の規模から生じる洪水に対し直ちに改修を要すべき危険な状況にあったとは認め難い。そして、その後計画された二〇トンポンプも、現在の危険に備えるものでなく、将来内水管理者が地区内水路から水場川に内水を強制排水する施設を設置した場合等における水場川の流出増に対処するためのものであり、かつ本川である新川の河道の概成の見通しが立つのを待って昭和四九年に立案され、本来の予定を早めて昭和五四年に完成したものであることは、前記四7に判示したとおりであるから、河道改修後の事情の変化により緊急に整備すべき事情が生じていたことを推認させるものではない。原告らの主張するように、河道の改修が河口部に洪水を集めて水場川を危険な状態にした事実がないことも前記3(二)に判示のとおりである。

したがって、本件水害当時、水場川が通常の洪水に対して、早期の改修を要する危険な状況にあったとは認められない。

なお、原告らの主張する危険な土地の利用方法の制限等の方策については、右に判示したように本件被害地域が通常の降雨に際して格別に危険な状態にあったとは認められない上、現行法制上も河川管理者の責任に帰すべき問題とは解されないから、右主張は失当である。

5  水場川の管理上の瑕疵の有無

前記1に判示のように、河川の管理には様々な制約があり、これらの諸制約が解消した段階においてはともかく、これらの諸制約によっていまだ通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至っていない現段階においては、当該河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その地の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理における財政的、技術的及び社会的諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。

そこで、前記七で判示したところよりすれば、水場川は河川改修計画に定める規模の降雨に対して通常の安全性を備えていたものであり、本件水害の原因は水場川改修計画の規模をはるかに超える豪雨により溢水や膨大な内水湛水を生じたことによるものであって、このような河川改修計画の規模をはるかに超える豪雨による内水をも湛水や溢水による被害を生じさせることなく排除することは、もはや河川管理者の責任の及ばないところというべきであるから、本件水害時にこのような内水湛水や溢水によって被害が生じたことをもって水場川の管理に瑕疵があったとすることはできず、そのほか水場川改修計画に不合理な点も認められず、早期に改修を要する特段の事情も生じていないので、原告らが本件水害につき被告らに対し水場川の河川管理者としての責任を追及することはできないと考えるが、なお右河川管理の瑕疵判断のための要素のうち未検討の点について検討する。

(一)  過去の水害について

まず過去の水害については、<証拠>によれば、水場川流域が古来水害の多い土地であり、中でも最も低地である水場川河口部付近等では、昭和四二年、同四五年及び四九年等にも水害があったものと認められる。しかしながら、右過去の水害についての発生原因、降雨の規模及び被害の範囲等を認めるに足りる立証はなされていないところ、前記三3に認定の同地域の自然的特性を考えると、河道の改修前は河道からの溢水被害が多かったことも推測されないではないが、むしろ本件水害時のように内水湛水による被害が大きかったものと窺われ、既に前記七3で判示したように、河川改修計画の規模を超える豪雨時の内水湛水を水場川の改修のみで解消することは困難であると考えられるから、過去の水害は水場川管理の瑕疵を認めるべき事情とはなり得ないというべきである。

(二)  同種同規模の河川との比較

<証拠>によれば、水場川と愛知県内の他の中小河川とを比較した結果は別表8のとおりであり、水場川の前記計画対象降雨に対する改修は、河道の改修及び排水機の設置とも、同規模又はそれ以上の規模の河川と比較しても比較的早い時期に整備されたこと、水場川の改修は同規模の中小河川と比較してむしろ進んでいることが認められ、右に反する証拠はない。右事実に照らしても、水場川の管理に瑕疵があったことを認めることはできないというべきである。

九結論

以上判示したように、被告らの水場川の管理に不合理な点は認められず、水場川の管理上の瑕疵を認めることはできないから、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(裁判長裁判官寺本榮一 裁判官芝田俊文は填補を解かれたため、裁判官村越啓悦は転補のため、いずれも署名捺印することができない。裁判長裁判官寺本榮一)

別紙被災事業所等目録<省略>

別紙請求金額目録(一)〜(五)<省略>

別紙財産的損害一覧表<省略>

別紙第1図〜第6図の2、第8図〜第16図<省略>

別表1〜別表13<省略>

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